2009年
    
8月4日(火)〜9日(日)   5泊6日

  新潟県(越後湯澤 HATAGO 井仙)
  新潟県(ルートイン上越)
  新潟県(ANAクラウンプラザホテル新潟)
  福島県(ハイカラホテル 湯っ蔵シラッセ)
  山形県(赤湯温泉 森の湯)


 

 レンタカー
    フィット(ホンダ)

  走行距離
    1日目 152km
    2日目 122km
    3日目 157km
    4日目 167km
    5日目 133km
    6日目 136km
                  
       合計 867km

 
 

↑部屋付きの露天風呂。一応この宿には2部屋しかない。
 

8月4日
 最近は仕事の都合で7月中の出発ができないため、毎年これくらいの日程になってきた。今年の場合は直前の天気が良くなかったのでその方が良かったかもしれない。例によってNHK大河ドラマ巡りなので今年は新潟がメインの旅だ。新潟空港に飛ぶために我が家の旅行としては初めてANAを使った。ネットでの手配で「チケットレス」だったのだが、結局空港ではいろいろな券を渡され、逆に鬱陶しい感じがした。あれなら普通に航空券をもらった方がいい(携帯電話を使う方法にすれば良いのだろうが…)。
 地方空港に飛ぶときの初日はほぼ移動だけで終わる。今年も千歳出発だったために、朝一番の飛行機にしなかったから新潟空港に着くのは15:40で、今日の宿である越後湯澤に到着したのは18時近くであった。今年は1泊目と5泊目を豪勢に、ということで部屋に露天風呂が付いている。しかし、露天風呂と言っても屋根はあるし、ほとんど壁で覆われている。部屋の風呂
が温泉だ、と考えた方が良いかもしれないがまあ仕方がない。
 その「露天風呂」で軽く汗を流して、別室の食事処に向かう。民芸調のなかなか趣のある造りだ。「魚沼キュイジーヌ料理(むらんごっつぉ)」という宿泊客以外も入ることができるレストランだが、おそらく宿泊客しか来ないのではないだろうか。出てきたコース料理はどれも美味しく、家でも作ってみようかという気になるものが多かった。最近外で飲むときは生ビールの後芋焼酎になることがほとんどなのだが、今回の旅行は新潟ということで日本酒にした。普段から新潟の店(正確には上越市)から時々取り寄せて飲むのだが、それでも知らない酒が多い。南魚沼の地酒で知っていたのは「八海山」だけであった。                         食事処「むらんごっつぉ」 →

上段左から、「茄子のかぐらかけ、酢漬け大根寿司、川海老空揚げ」・「岩魚と卵豆腐 夏野菜添え」・「真鯛のグリル 味噌クリームかけ フレンチ車麩」・南魚沼の地酒(鶴齢・仙七)
下段左から、「米粉麺一口盛り」・「魚沼サーモンムース風 雪室人参と美淋酒ソース」・「越後もち豚 糠床やわらか揚げ 黒酢ソース・塩沢地区限定一等米魚沼産コシヒカリ」

 
 
8月5日
 昨夜は部屋の風呂以外に大浴場にも行ったが、大きなものではないがお湯は悪くない。今日も少し早起きして付近を散歩(ウォーキング?)したあとに部屋の露天風呂で汗を流した。散歩中に見つけた「コシヒカリアイス」と「酒ケーキ」の幟と店の前に無造作に置かれた

  ↓ 3階の出っ張った部分が露天風呂

酒樽がいかにも「酒どころ」という感じがしたが、その後いろいろなところでコシヒカリアイスがあった。考えてみれば今までの旅行でも「わさびソフト」なんていうのもあったから、何でもアイスクリームになるのだな、と妙に感心してしまう。旅行でいろいろなところに行くまでは、アイスというのはチョコやコーヒーの他にはフルーツ系だけだと思っていた。
 さて、いよいよ大河ドラマ「天地人」を巡る旅の始まりだ。今年は直江兼続の歴史そのものの順番で回ることになっている。まずは生誕の地である南魚沼からで、最初に行くのは「わしはこんなとこ、、来とうはなかった」の名台詞にまつわる「雲洞庵」からだ。近くまで来ると「越後一の寺」という標識になっている。「庵」という名前からはこぢんまりとした小さな寺を想像していたのだが、行ってみると確かに結構大きい。そして驚いたのは寺の中のいろいろなところに入っていけることだ。仏像の裏側にも行けるし、写真撮影もOKだ。景勝と兼続が共に学んだという部屋も公開されていた。あいにく空はややガスがかかた状態で、坂戸城があった山の方は見えなかった。
 雲洞庵の次は「直江兼続伝世館」、そして坂戸城跡(実際の城郭は山の上にあったので、石碑があるところは城壁のあたりなのだろうか。「生誕の地」の石碑もさりげなくある感じで、あまり大げさにはなっていない。そしてその後は恒例の大河ドラマ展「天地人博」だ。
  ↓雲洞庵の山門。ここから本堂までけっこうある。

 ↑ 景勝と兼続が共に学んだ部屋
 ↓ 本堂の仏像
去年の「篤姫館」は指宿と鹿児島の2カ所だったが、今年は南魚沼・上越・米沢の3カ所で開催されている。それぞれある程度時代を意識した異なる内容になっているようで、全部回る予定だがここがその1カ所目だ。この手のところはだいたい撮影が禁止されているので写真はないが、最近の傾向として大型スクリーンを使って映像で紹介することが多くなっている。もちろん展示物の説明も読んでいくのだが、映像での説明はわかりやすくて良い。この映像による説明もそれぞれの場所で内容が異なっていて、ここでは幼少期を中心としたものになっている。ちなみにここの「天地人博」では、隣にJAがある関係か、入場券に1合の魚沼産コシヒカリがおまけで付いていた(2人で2合)。
 その後は、直接の結びつきがあるわけでもないが、立派な山門と毘沙門堂(関東に出陣する

 ↓坂戸城跡と景勝・兼続生誕の地の石碑。
               どちらもポツンと建っている。

ときは寄っていたという話だ)があるという浦佐の普光寺に行くことにして、その付近の食堂で昼食をとった。観光には無縁そうな食堂だが安くてなかなかうまい。地元客で混んでいた。

 ↓サルビアの花で「毘」とデザイン


 ↑ 浦佐駅前での昼食。日替わり定食が750円とは
   思えない内容と味で、地元客で混み合っていた。
 ←浦佐普光寺の山門。春日山とは違うが毘沙門堂がある。
 
 これで「上杉景勝」と「直江兼続」の生誕の地である南魚沼で見るものは終了だ。大河ドラマで言えばはじめの3話程度(子役の与六が出ていた頃)ということになる。次は上杉謙信がいる春日山城へ、ということで上越市に向かう。当初の予定では移動後は夕食に出かけるだけだったのだが、意外に早く着いたので「天地人博」を見てしまうことにする。ここではやはり「上杉謙信」が中心となった作り方になっていて、その土地の思い入れというものも感じた。翌日の観光でも強く感じたが、ここはやはり謙信の町なのだ。そしてホテルへ向かう途中だということで、ついでに「御館跡」も見てしまうことにする。ガイドブックを見ても目立たない感じだったが、「天地人」の幟がなかったら全くわからないと思われる場所で、公園の隅に石碑がポツンと建っているだけだ。
 ホテルにチェックインしたが、予想よりもずっとまわりに何もないところだ。もともと夕
 ↓ 御館跡。寂しい。

↑ 「かがりび」という店。予想よりおしゃれな外観
食は外に出るつもりではあったが、最初にネットで調べた店は高田の方で8km近く離れている。もっと近いところで調べたのだがあまりパッとしない感じで、唯一ちょっとおしゃれなブログを持っている店に行くことにしたのだが、やや不安。しかし呼んだタクシーの運転手が店の名前を知っていたので「ひょっとしたら良い店なのかも」と少し期待した。店の外観は思ったよりも大きくて期待大だったが、入った瞬間誰もお客さんがいなくてちょっと不安に。しかし店の造りは結構おしゃれで、少し飲んで食べているうちにどんどんお客さんが、あと10分遅かったら満席で入れなかったかもしれない。注文したものも結構美味しく満足できた。帰りは歩いて帰ることにして、途中コンビニで部屋で飲むお酒を買って帰る。今日はあまり歩いていないからちょうど良いかもしれない。
 ホテルは上にも書いたがまわりに何もなく不便だが、大浴場が付いているということで決めたホテルだ。お湯に浸かってビールを飲み直して寝た。

 ↑ 左から、お通し(白身魚の漬け・冷たい茶碗蒸し) ・かぼちゃのチーズ焼き ・昔風コロッケ ・「能鷹」という地酒

             左から、 →
  自家燻ベーコンと
      グリーンアスパラのソテー

  白身魚とフルーツトマトの
              カルパッチョ

  生タコのガーリックソテー


 
8月6日
 外の看板には「朝食サービス」と書いてある割にはチェックインの段階で朝食券をもらっている。そこそこのバイキングかと思っていたが、なかなかの内容である。食後のコーヒーがその都度抽出するタイプでエスプレッソもできたのが良かった。
 さて今日は春日山城跡に登る日だ。昨日の坂戸城では山頂まで行かなかったが、今日は上まで行くつもりだ。天気が良いと暑すぎるが、上からの景色のことを考えると晴れて欲しい。しかし予報は曇りで、朝の段階ではどんよりしている。雨が降らなければいい、という気持ちで出発し、最初の「ものがたり館」に着いたときはまだ開館前で、付近を少し歩く。まもなく開館したが、入場無料という施設でそれなりであった。すぐに次の目的地「春日神社」へ。奈良春日大社の分霊を春日山の山頂に祀り、そこから「春日山」という名前がついたということだ。後から行く「春日山神社」は明治時代にできたもので、こ
の春日神社とは関係がなく、米沢の上杉神社からの分霊であるということだ。なかなか勉強になる。
 次に向かうのは「林泉寺」。上杉謙信が預けられていた寺である。山門には謙信の字である「第一義」が掛けられているが、これは複製品であり、実物は宝物館に保存されている(見ることはできる)。今回の旅行でこの複製品を何度見ただろうか。この言葉が「越後」そのものなのかもしれない。ここでは宝物館で資料を見たあと、上杉謙信のお墓に行った。寺の裏山が墓所という感じで、重々しい雰囲気だ。このあたりから天気が良くなってきて、青空も出てきて暑くなってきた。次の目的地「春日山神社」(祭神は上杉謙信だ)までは車で行けるはずだったのに、通行規制していて、シャトルバスに乗るか歩かなければならないとのこと。ここは健康のために歩くことにした。

  ↑ 春日山の名前の元になった春日神社

  ↑ 林泉寺の山門。こちら側には「春日山」の文字があり、裏側に「第一義」がある(右)
                               上杉謙信の墓。すぐ近くに川中島の戦死者供養塔がある →

 規制されていることがわかったのは、林泉寺から少し走ったところで、戻るのもしゃくなので近くの駐車場(公園?)に車を置いて坂を上り始める。結構な距離を歩いてようやく春日山神社の駐車場に到着。わかりきったことではあるがここから神社までは階段を登ることになる。暑くなってきたところで、汗がどっと噴き出るが頑張って鳥居まで到達。そして、行くと決めている春日山城跡(山頂には毘沙門堂がある)まではここからさらに距離にして800mの上り坂だ。登っていく道は何通りかありそうだが、とりあえず謙信の銅像を見に行って、近くにあった売店で「コシヒカリソフトクリーム」を食べて元気をつける。

← 駐車場から神社への階段
↓ 左から春日山神社の鳥居と石碑・本堂・謙信公像(ちょっと高いところにあって近くには行けない)

 昨日の朝はウォーキングをしたが、今日はここに登るということで何もしていない(普段も何もしていないが)。ソフトクリームを食べながら登り始めた。初めのうちは車も通れるような道で楽だったが、徐々にややきつく細い坂道になっていった。途中「○○屋敷跡」という石碑があったが、他には何もなく予想外に狭い。「三の丸跡」「二の丸跡」も同様に狭い。攻められて落ちたことがない城だというのに、そんなに小さな城だったのだろうか。そしてようやく山頂に着いたがやはり「本丸跡」も狭い。その後少し探したが毘沙門堂を見つけて、別な道を通って神社まで戻った。山頂からの景色はなかなかであった。
 さらに歩いて車に戻ったが、朝早くから行動していることもあってまだ午前中だ。昼食の前にもう1カ所、「上杉戦国物語展2009」に行ってみる。あまり期待していなかったのだが予想に反してなかなか見応えがあった。シャトルバスはどうやらここから出ているようだ。
 ↓ 左 本丸跡(近くに天守跡もあるがやはり狭い)  右 毘沙門堂(ドラマとは全く違う)
 これで上越での目的地は制覇した。高田城にも行ってみようとも思ったが、今回のテーマには直接関係がないし、昼食を食べて新潟に向かう途中にまだ寄るところがある。元々の予定にも入っていないし、ここはスパッと切って昼飯だ。

 

      ↓ 天守跡から上越市内をのぞむ

 旅行中1回くらいはラーメンを食べる。今年は当初「山形の冷やしラーメン」を食べるつもりだったのだが、元祖の店がそば屋だということと、日程的にきつくなるかもしれないということで今日になった。新潟のラーメンはそれほど研究してきていないが、ネットで調べてきた店だ。行ってみると店の外に10人程度の行列ができていた。一応は人気店なのだろう。しょうゆとしおで麺が違うというこだわりで、やや魚系(鰹節系)が強いあっさりスープのラーメンだった。  ↓ しおラーメンは平打ち麺
 ↓ しょうゆはとてもあっさりな味
 行列だったためにちょっと予定より時間を使ったが、このあとは兼続の最初の本拠地になった「与板」に寄って、「兼続・お船ミュージアム」「お船生誕の地」に行く。一路高速で長岡ICまで。自分で立てた計画では中之島見附ICまで行くつもりだったのだがナビは長岡ICだと言う。そういえば今年はまだナビとケンカしていない。今日からETC
の休日割引が適用になるが、長岡ICでは上限1000円の恩恵は受けない。まあそんなことはどうでも良いのだが…。まずは「兼続・お船ミュージアム」へ。小さな町だが歴史民俗資料館というものがあるのがすごいことだ。展示の内容としてはまあまあで、ここでもやはり映像での説明が用いられていて、それがわかりやすかった。
 その後は「お船生誕の地」に行ったが、ここは石碑があるだけで、他には何もない。この2カ所以外に当然のことながら「与板城跡」「本与板城跡」があるのだが、これも石碑があるだけだし、そろそろ疲れてきている。直江家の菩提寺というのも省略して新潟のホテルに向かうことにした。

← 左 直江山城守兼続の像(資料館の前)   右 お船生誕の地の石碑

 新潟ではナビが変な道を指示するなあと思いながらその通り進んだが、一方通行などを考慮した道順だったようだ。無事ホテルに到着し、その後新潟駅まで行ってお土産を仕入れた。
 通常都会に宿泊したときは外に夕食を食べに行くのだが、今日の夕食は元々ホテル内の寿司屋で食べることになっていた。結構疲れていたのでちょうど良かった。市内の数店でやっているキャンペーンのようなもので「極」というメニューを頼む(もちろんその前にビール)。新潟での4種
  ↑ 「極」 北海道の寿司ネタに近い
                 「越の影虎 生酒」 →
 
類目の日本酒は「越の影虎」といういかにもという酒だ。寿司は日本酒と同時進行できるので良い。その後は駅からの帰りにコンビニで買ってきた地ビールと酎ハイを飲んで寝る。明日は猪苗代湖で綺麗な風景を見たいのだが残念ながら雨の予報だ。

8月7日
 朝ホテルの部屋の窓に当たる雨の音で目が覚めた。窓に当たると言うよりも、窓の桟に落ちる水滴の音と言った方がいいかもしれない。非常に残念だが、けっこう雨が強く降っているようでとても天気が悪い。右の写真は昨日ここに到着したときのもので、今日がこんな天気だったらと、かえすがえすも残念だ。
 当初の予定から新潟市内は今回のテーマに沿った見学地がないのではっきりとした計画がなかった。おまけにこの雨だから早々に会津に向かうことにした。今日は新潟市のお祭りのようで、雨の中太鼓の音が聞こえていた。
 高速に入り、けっこう強い雨の中、予定も少ないので安全運転で走る。目的地の猪苗代磐梯高原ICに近づいても雨がやむ様子はない。しかし、こればかりは文句を言っても仕方がないのであきらめて
 

 ↑ 「野口英世生誕の地」の石碑
 ↓ 野口英世の生家

最初の目的地「野口英世記念館」に行く。今回のテーマとは全く関係ないが、会津には以前来たときに「飯森山」も「鶴ヶ城」も行っている。今回のテーマで鶴ヶ城にはまた行こうと思っているが、他にはあまり目的がないのだ。
 幸いなことに記念館に着いたときには雨が小降りになり、「野口英世の生家」を見ている時間帯はほとんど降っていなかった。その後記念館も見ている間にまた降ってきたようで、次の移動もまた雨の中であった。
 昼食はマリーナにあるレストランだが、あいにくの天候のため船は繋留されたままだ。寂しいかと思いきや食事をする人も、遊びに来ている人もたくさんいた。マリンスポーツをする若者が来る店だからなのだろうが、比較的量が多い。味も悪くないし値段もそれほど高くはないが、昼食としてはもう少し少なくてもいい感じだった。この食事中には雷も何度も鳴って、雨足もかなり強くなった。美味しかったのだがちょっと憂鬱な気分になる時間であった。

        「志を得ざれば再び此地を踏まず」 固い決意が表れている →

  ↓ ハンバーグランチ・パスタランチ・生ハムサラダ


 ↑ 2度目の「鶴ヶ城」バックが青空でないのが残念。
 それでもこのままここにいるわけにもいかずとりあえず会津若松市内に向かい、最初に武家屋敷の横にある物産館のようなところでお土産を買うことにする。そして買い物を終えて車に戻ると、雨はかなり小降りになっていた。気を取り直して鶴ヶ城方面に向かい、車を停めるとほとんど雨は上がっていた。まずは城の横にある県立博物館に行ってみたが、なかなか見応えがある展示で結構時間をつぶした。その後城の方に行ってみると、リニューアルしたと書いてあるので中に入ってみることにした。確かに城内部の展示物が増えて見るものは多くなったが、大阪城を思い出すような造りで、いまひとつ趣に欠ける感じもする。
 今日の宿泊先は「部屋にこだわらない方へ」というキャッチフレーズで、本館の温泉などの施設は全て使える「別館」だ。本館のフロントでチェックインをするという方式だが、行ってみて納得。別館には誰もいないのだ。しかも宿のHPに掲載されている写真とは全く別物
の、「こだわらない」以下の部屋で、ちょっと詐欺にあったような気分になった。窓の横には数十cmしか離れていないところに道路があり、ずっと車が走っている。頭には来たが今さら仕方がない。今考えてみると、旅行前に地図ソフトで別館の場所を探しているときに見つけた「社員寮」はこの場所だったような。外階段で上るという、まさしくそんな感じの建物だ。
 予定では本館の施設で夕食と思っていたのだが夜9時からの営業ということなので、市内まで出て簡単に夕食を済ませた。戻ってきてすぐに本館の温泉に行く。とにかく部屋にいる気にはならないのだ。それでも最後はこの部屋で寝るしかない。明日は豪勢に泊まるから、とあきらめて寝ることにした。救いは本館の温泉が良かったことだ。露天風呂のすぐ横にある滝は迫力満点だった。

 ↑ 本館の温泉から見える滝

8月8日
 寂しい気持ちになる部屋で目覚め、早々に朝風呂に向かう。本館は「小原庄助さん」縁の宿だそうで、朝風呂は欠かせない。そういえば昨夜の浴場内には何とお酒が置いてあった。
 本館と別館は徒歩2分くらいだが、何度も足を運ぶのは面倒なので、まず朝食をとってから風呂ということにした。朝食はバイキングだが、珍しいことに「餅」がある。しかも雑煮・きなこ・納豆・おしるこなど種類も豊富、さらに赤飯まである。おかずも田舎料理っぽいものがたくさんあって、皮肉なことにここの朝食がここまでで一番良かった。
 チェックアウトは、別館1階入り口にあるキーボックスに部屋のキーを入れるだけ。勝手に帰ってくださいということだ。そのシステムは別に問題はないが、とにかく部屋はひどすぎた。
 さて気を取り直して、今日は今回のテーマの最後となる米沢だ。テーマもさることながら「米沢牛」も楽しみだ。途中の喜多方は一度行っているし、有名なラーメンも特に好みというわけでもないので今回は全くの素通り。まっすぐ米沢に向かう。最初に行ったのは「上杉家廟所」
で、初代の謙信から第12代までの藩主の墓所となっている。中央奥に謙信、左に景勝、右に第3代、と交互に同じような造りの廟堂がずらりと並んでいるのはなかなか荘厳な感じだ。
 上杉謙信も元々は長尾家であったり、米沢での初代は景勝であるなど、誰を上杉家初代とするかは判断が分かれるところだろうが、ここでは謙信となっているし、それに対して反対運動が起こっているわけでもない。やはり越後(ここは越後ではないが)においての上杉謙信というのは別格の扱いなのだろう。かく言う

  ↑ 左 すべての中心となっている謙信の廟堂    右 景勝の廟堂

 ↑ 春日山林泉寺
自分も大河ドラマなどを見る前は上杉家というのは謙信から始まったものと思っていた。ただし、米沢ではその後の藩政を建て直して現在の米沢の原形を作った「上杉鷹山」が別格の扱いを受けているようだ。
 次に向かったのは「春日山林泉寺」。上越でも行ってきた寺だが、それ以外のいくつかの寺も、上杉家が会津・米沢と移るに従って移転してきたようだ。ここでも本堂の中はいろいろなところを見て歩ける。普通だと「ここからは駄目」という感じの畳の部屋にも入っていける。その後は「兼続とお船の墓」や「仙洞院の墓」を見て終了だ。後から気づいたが残念なことをした。甘糟景継の墓もあったのだが、どうもパパイヤ鈴木を思い出してしまって、申し訳ないが歴史に浸れなかった。
 そんなわけでここは早々に切り上げて3カ所目の「天地人博」に向かうことにする。米沢での目的地はこの天地人博と、そのすぐ近くの「上杉神社」で終わりとな

 ↑ 兼続(左)とお船(右)の墓

 ↑ 謙信の姉である仙洞院の墓
る(それ以外に米沢牛のランチもあるが)。今日は土曜日だからここまででも観光客が多い。次の目的地はメインだからやや心配していたが案の定近くの駐車場は満車で臨時駐車場に回された。けっこう距離があったが、そこから歩く人はたくさんいたし、全体的に非常に人が多かった。
 米沢での上杉家というのは戦国時代では最後の方になり、ドラマではまだそこまで進んでいないからいわゆる歴史についての展示ということになる。何となくドラマの予習をしたような感じだ。人が多いので全部見るのにやや時間がかかったがなかなかの見応えであった。ここ
での映像の紹介はけっこう大がかりで、時間や人数を区切ってシアターのような場所で見せる形だった。この「天地人博」は米沢城跡の公園内にある博物館で行われていて、上杉神社も同じ敷地内にある。
 この「上杉神社」は元々仏式で上杉謙信以降の藩主(正確には景勝以降だが)を祭ってきたものを、明治になって上杉鷹山と合祀する形でできたもののようだ。その後鷹山はすぐ横の松岬神社に分祀(?)されているとのことだ。ここの宝物館に今回のメインテーマである「愛」の前立ての実物が保存されている。
 ちなみに上杉鷹山は今回のテーマとは無関係であり、あまり知識がなかったのだが、右の写真にある「なせば成る…」の言葉は有名で、この言葉を言った人なのかと少し感動した。

 ↑ 「なせば成る。なさねば成らぬ何事も。成さぬは人のなさぬなりけり」   右 上杉神社の鳥居
 さてこれで米沢での観光も終了だ。今日は周辺の観光もないので時間が余り気味だ。そろそろ昼食の時間ではあるが、公園内にある物産館でまたお土産を買うことにする。その後また歩いて車に戻り、いよいよ昼食だ。米沢ということでランチにも米沢牛という計画なのだが、ステーキやすき焼きとなると、ランチの値段では食べられない。そこで「牛皿定食」と「焼き肉定食」にしてみたのだが、どちらもあまり口にしたことのない味付けで、「米沢牛を食べた」という感覚にはなれなかった。夕
  ↑ 左 焼き肉定食(黒いものはキクラゲ)     右 牛皿定食
食にも米沢牛が出るのだから別なものを食べた方が良かったかもしれない。ちなみに牛皿をごはんの上にのせたものが「牛丼定食」になるようだ。
 そんなわけで今日の宿がある赤湯温泉に向かう。米沢から南陽市まで「米沢南陽道路」といういわゆる高速道路が走っている。たいした距離ではないので一般道でも良いのだが、何となく走ってみたくて行ってみた。将来は「東北中央自動車道」とつながる道のようだが、今は10km程度の区間だけが開通している。北海道の場合、最近作っている高規格道路で幹線と接続されていない道は無料がほとんどだが、ここはきちんと料金がかかる。


 ↑ 琉球畳が部屋を明るくしている
 この高速を降りたらすぐに赤湯温泉に到着してしまった。一応宿の場所を確認してみたが、まだ14時くらいでチェックインの時間になっていない。今日の宿は豪勢に設定しているので早めに入ってゆっくりしても良いのだが、いくら何でも早すぎるので少しその辺を走ってみることにした。ここから山形に向かう途中に「上山温泉」というところがあり、関ヶ原の戦いと同時進行していたいわゆる「長谷堂城の戦い」にも関係している「上山城」もありそうなので行ってみることに。比較的すぐに着いたが、真剣に場所を調べて行ってみるほどの気力もなく、そうこうしているうちに戻ったらチェックインできる時間になったので、結局何もしないで戻った。単なるドライブで終わってしまった。
 さて今年の旅行も残り少ない。最後の宿泊は「離れの宿」ということで全ての部
屋が「離れ」になっている。その中に5部屋ある露天風呂付きを予約している。昨夜がひどかっただけに今日は優雅に過ごしたい。チェックインして部屋に入ってみると期待を裏切らないものだった。離ればかりなので廊下が多いが、あちこちに右のような民芸調の人形が置かれてあって雰囲気を和ませている。
 部屋の露天風呂は後から入ることにして、まずは大浴場の方に行ってみると、内湯と露天が別々になっているようだ。明るいうちにということで露天風呂の方を選んだ。昨日の豪快な滝が見える露天風呂とうって変わって、非常  ↑ 廊下の随所にこんな人形が
に静かな癒される風呂だ。山奥にあるわけでもないのになぜこんなに静かなのだろう、と感じるほどだった。その後部屋に戻ったが、夕食を6時半からにしていたのでやや時間を持てあまし、部屋付きの露天風呂にも入ることにする。常に源泉が出ているので熱い、と言われていたが確かに熱い(湯沢の露天風呂もそうだった)。屋根もない開放的な露天風呂ではなかったが、湯船に浸かったときの頭の高さには壁がなく、庭を見ながら静かに入ることができる。
 さて最後の夕食は「米沢牛プラン」というものだ。別室の食事処(個室になっている)に行って、コース料理をいただく。どれもなかなかの味だったが、やはりメインの「米沢牛」が良かった。昼に食べたランチとは大違いだ。旅行も終わりに近づいてそろそろ胃袋も疲れてきているので、肉の量もちょうど良かった。「牛トロ握り」というのを初めて食べたが、焼いていない肉というのはあまり味がしないもののようだ。たれがかかっていて、その味しかわからなかった。

 ↑ 部屋付きの露天風呂。なかなかだ

↑ 左から 「先付け(無花果胡麻タレ他)・山形のダシとかいうもの他」・「お造り・御椀(鱧)」・「米沢牛カットステーキ」・「デザート(生キャラメルプリン)」

↑ 左から 「籠盛(鮎塩焼き・煮穴子笹包み他)」・「米沢牛トロ握り」・「揚物(数種類)」・「酢物(ホタテの寒天包み他)」
↓ 左から 「冷鉢(煮蛸・焼き茄子・南瓜・長芋・人参など)」・「野菜雑炊(山形県米)」

 食事中に外で花火が上がり(老人会だかの花火大会だそうだ)、窓を開けてみたがほとんど見えなかった。あれで花火を見ながらの食事だったらもっと良かったのだが…。
 満腹になって部屋に戻りくつろいで、旅行最後の夜を過ごす。妻がマッサージを頼んでいたので、その間ロビーに行ってインターネットをした。1台パソコンも用意されていたが、何とこんな和風旅館にもかかわらず無線LAN
(FREESPOT)が使える。結局今年の旅行でネットが使えなかったのは昨夜だけだった(一応Willcomは持ってきていたが)。やはりホテルで高速ネットが使えるというのは便利だ。
 ちなみに今回は昨年の旅行前に買った、持っている中で一番小さい工人舎のSC06というマシンを持ってきたが、Windows7の評価版をインストールした後メールの設定を間違えてしまったらしく、せっかく持ってきたのにメールチェックができなかったのは残念。                       ↓ 別室の食事処。やや殺風景だがそれなりに落ち着く

 ↑ 何となく心が和む民芸調の人形があちらこちらにある

8月9日
 さていよいよ旅行最終日。今日の計画は山寺に登ることだけだ。天気が心配だったがどうやら雨は降っていない。
 まずは朝から露天風呂に浸かり、浴衣ではなくしっかり身支度を調えてから朝食へ。昨夜と同じ場所での朝食は「「朝からこんなにいろいろなものが出るの?」というものだった。旅行中食べ過ぎる原因の一番は朝食かもしれない。まあ今日は山寺に登ってしっかり消費できるだろう。
 優雅な部屋でゆっくりするという手もあるのだが、今日は日曜日だから道路が渋滞しては困る。最終日も車で行動する場合、大阪で飛行機に間に合わなかったり、東京で走りまくってギリギリセーフという悪夢が蘇る。そんな都会ではないから大丈夫だろうという思いはあるが、慎重にならざるを得ない。というわけで、朝食後はほどなくチェックアウトして山寺に向かった。
 最初は昨日もちょっとドライブで走った道だが、昨日より流れが悪い。しかし上山を過ぎたあたりから国道はバイパスのような作りになり流れが良くなった。あまり地図を研究していなかったのでナビを完全に信用して走り、以外と早く山寺に到着。最初に見つけた「山寺駐車場」というところに車を入れたのだが、ここから狭い道をけっこう歩かなければならなかった。しかも、登り口のすぐ近くに駐車場があるではないか。これから登らなければならないのに無駄  ↓ 朝食の一部。種類もさることながら、朝から出し方がおしゃれだ。
 ↓ 根本中堂側の登山口
な体力を使ってしまった。だが、朝食をしっかり消費しなくては…。
 写真右下の鳥居の所からも登っていけるが、一応は旧国宝の「根本中堂」というところからスタートすることにする。何か催しがあるようで人がたくさん集まっていたが、そのまま通り過ぎて登山開始。この道はずっと階段が続いているが、1015段と書いてあるものや1115段と書いてあるものなどがあってはっきりしない。途中ちょっと幅が狭くて急な部分もあるが、あとは一定のリズムで階段を登るという感じだ。「五大堂」というところからの景色は期待していたが、
 ↓ 山寺の正式名称「立石寺」の「根本中堂」
↓ 表現が難しいが、荘厳な感じ
晴天とは言えない天気で少しモヤっていたために今ひとつであった。また、「胎内堂」というところも期待していたが、現在は通行止めになっていた。
 疲れなかったと言えば嘘になるが、思ったよりは息も切れず、足にもこなかった。しかし、持っていたハンカチを何度も絞ったほど汗だけは大量に出た。「山で修行」ということなのか山の中に寺や神社があるのは良くある話だが、別にこんな急な山の上に作らなくても良いだろうに、と思うような道だ。結局往復45分くらいで、そろ
 ↓ 「五大堂」からの景色。天気が良ければ綺麗だろう
そろ昼に近い時間ではあったが、まわりには「そば屋」ばかりで、そばアレルギーとしては入る気になれない。そのまままたけっこう歩いて(帰りは下りだから少し楽だった)すぐ車に乗って出発だ。車に戻る頃からときどきポツリポツリと雨が落ちてきた。絶妙のタイミングだったようだ。
 ちなみにここは松尾芭蕉の「閑さや巖にしみ入る蝉の声」で有名な場所でもある。

 ↑ 釈迦堂?行くことはできない

 ↑ 胎内堂。これも行けない

 ↑ 仁王門を見上げるポイント
 ↓ 開山堂(右)と納経堂(左)
 ↓ ようやく「大仏殿」と「奥の院」に到着
 ↓ 下山口。ここから登ることもできる
 山形北ICから山形自動車道へ、途中東北自動車道を経由して、仙台南部有料道路・仙台東部有料道路と走っていっきに仙台空港に着いてしまった。この後半の有料道路はETC割引の対象外だそうだ。空港に着いたのは13:30頃で、乗る飛行機は15:40だから2時間も時間がある。まずはやや遅くなったが昼食をとることに。妻はそろそろ胃が疲れたということでサンドウィッチ、私はせっかくだから「牛タン定食」を食べた。仙台と言えば「牛タン」だが、普段はあまり食べることがない。それでも、やはりこういう定食ではなく炭火での網焼きが一番だと感じた。
 我が家の旅行ではその土地の名物を食べるのも一つの目的だ。今年の前半は何と言っても「米」と「酒」そして後半は「肉」だ。胃腸のことを考えると逆が良かったかもしれない。
 ↓ 空港内レストランでの「牛タン定食」
 というわけで今年の旅行も無事終了。毎年この旅行に出かける頃には翌年の大河ドラマが決まっていて、来年は「坂本龍馬」だそうだ。高知には2回も行っているし、長崎という手もあるが、どうしようか思案中だ。東北の四大祭り(青森ねぶた・秋田竿灯・山形花笠・仙台七夕)を回るというのもありかな。


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